サニーサイドに手を伸ばして

どうめきの最新のEP「フェロードロップ」を聴く。リリースに気付けなかった僕はまだまだだ。しかも2月21日に出ていた。気付いていれば、翌日が誕生日の僕にとっては、特別なありがたみをもって楽しむことができたかもしれないのに。

 

思えば最近ばたばたしていて、気付いたら物事が始まったり終わったりしている。それが今の僕にとって良いことなのか悪いことなのかを判断する余裕もないくらい、ばたばたしている。基本的に何かに振り回されてるような具合に受動的だから、他人から見たら、じたばたしているように見えるかもしれないけど。

 

疲れた体には、轟音の騒々しさが癒しに変わる。だからというわけじゃないけど、僕のバンドでは遠征の帰りの車ではずっとPK shampooが流れている。今の僕にとってのそれはどうめきだ。今日はそんなにじたばたしたわけじゃないと思うけど、最近の日々の積み重ねがやけに重たい疲労感をもたらしている。そう思ったら、じたばたの果てにどうめきの新譜に辿り着いたのはある意味では正解だったかもしれない。

 

相変わらずミックスはめちゃくちゃだし、ドラムは潰れすぎていて、綺麗なボーカルが浮いている。でもそれが言いようもなく好きだ。雑な生き方を肯定されてる感じもする。きっと僕に似た心地をどうめき本人も感じているのかもしれない。これはファンの勝手な妄想だけど…それでも通じ合ってると勘違いできることは素敵だ。

 

もう少しばたばた/じたばたする日々は続く。もしかしたら、死ぬまでそうなんじゃないかと思えるけど、その時々で日々の捉え方は変わるものだから、なんとも言えない。でも4月になれば、僕のスケジュールはちょっとは落ち着くかも。わかんないけど。

 

目の前のことに夢中になることは、疲れるけど、精神衛生上かなり大切なことだと思えるようになった。どんなに不格好でも、不器用でも、それなりにじたばたしていたら、何かを忘れたり、何かに近付いたりできるものなんじゃないかな。

 

仮に全て徒労に終わっても、「それもいいか」と思えたらいいな、と思いながら、今はただ流されてみる。きっと報われる瞬間があるから。今の僕の体に、どうめきが沁みている幸福の感覚もそうだ。この感覚は、ただいまの、僕だけのものだし。

 

がんばれ、がんばれ。もう少し。サニーサイドに手を伸ばして。